「京都」の歴史
〜Wikipediaより引用〜
中国を中心とする東アジアでは古来、歴史的に「首都」を意味する普通名詞として京(きょう)、京師(けいし)が多く使用されたが、西晋では司馬師の諱である「師」の文字を避け、京師を京都と言うようになった。日本でも飛鳥京や恭仁京などが京都とも呼ばれた。平安京は当初から京都とも呼ばれたが、定着したのは平安後期からで、京や京師と併用された。その後、次第に「京の都」「京都」が都市の固有名詞のようになった。
桓武天皇が784年(延暦3年)の長岡京に続いて、794年(延暦13年)平安京に遷都
平安京は中国の風水に忠実に設計された都市で四方を山に囲まれ、東に鴨川が西に桂川が蛇行しながら南へと流れている。内部は都城を模倣した長方形の区画をもっていた。現在の千本通が当時の朱雀大路にあたり、真北には舩岡山が位置していた
1867年11月9日(慶応3年)の大政奉還により、統治権が幕府から京都の朝廷に返上されて新政府が誕生した。
明治天皇が1877年(明治10年)に京都御所の保存を命じた。
現在は世界有数の観光都市。神社仏閣の本山を多数擁する。
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